江戸時代の「御府内備考」「道玄坂町」
蘆田伊人・編「大日本地誌大系 第3巻 御府内備考. 第1至4」雄山閣/S06・刊 p.355 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1214872/1/177
の「3間5尺」〔約6.3m〕より拡幅されている。
この拡幅は、明治33年といわれている。
白根記念渋谷区郷土博物館・文学館・編「『特別展 渋谷駅の形成と大山街道』図録」同館/H29・刊
p.22「(4) 明治期の拡張・整備」
東京名所図会〔M40〕 前方の屈曲点手前(お水横丁角あたりか?)に顕著な段差が3段見える 左やや上方の森は、荒木山(後の円山町)か? |
■明治40年
東京急⾏電鉄 『東京横浜電鉄沿⾰史』 東京急⾏電鉄、1943年正面手前は敷石敷設中の線路、左端奥は工事用のトロッコ線と思われる。
道玄坂道のうち少なくとも、玉電の併用軌道の通る道玄坂上以西は、明治40年に八間幅に拡張されている
明治39年4月17日付け警視総監・東京府知事宛て嘆願書「営業物件義務履行ノ担保提供許可ノ件」
三軒茶屋~玉川間の『軌道敷設工事ヲ竣工シ…』、三軒茶屋~道玄坂上間においては『道路ハ東京府庁二於テハ六間幅二拡張ノ御予定…其後東京府ノ御都合ニ依リ予定ノ六間幅ヲ八間幅ニ御変更…』、『…明治三十八年一月二十五日及同年五月十一日付ヲ以テ東京府ノ拡築費中へ多額ノ寄付拡築工事ノ全部ヲ当会社ニ於テ引受タルコトノ上申ヲ為シタリ…』ゆえに『…当初ノ予算外ニ金五万八千円余リ負担増…』
(世田谷区立郷土資料館「特別展『玉電』-玉川電気鉄道と世田谷のあゆみ-〔図録〕」p.43。なお、原典は、(東京都公文書館蔵「営業物件義務履⾏の担保提供許可の件 ⽟川電気鉄道株式会社」M39」https://www.archives.metro.tokyo.lg.jp/detail?cls=collection_04&pkey=285276【未確認】)。
東京急⾏電鉄 『東京横浜電鉄沿⾰史』 東京急⾏電鉄、1943年
■大正5年ころ
この直後。「大正七年第一 次地区改正で巾を広げ関東大震災直後に半ばから上を削り取 って勾配をゆるめた」とされる。
藤田佳世「渋谷道玄坂」彌生書房/1977・刊 p.14
「大正五年ごろの道玄坂下」 |
「東京ガイド」写真通信会/T05・刊 p.35 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/912865/1/2 |
東京府土木部「東京都市計画環状道路改修工事報告書」同府/S08 p.154
S18 道玄坂上停留場やや東寄り |
撮影位置・方向 地図提供:佐藤洋一教授(早大)ら「映像考古学」グループ 右下隅の都電線路西の「旧・山一証券ビル」が曳家工事で移転した後なので S24暮以降の地図であることがわかる |
ハンフリー・ボガ―ト主演のアメリカ映画 ”Tokyo Joe”
ボガートは戦時中、カサブランカだけでなく東京にもナイトクラブを持っていたことになっているらしい^^;
道玄坂下名物の露店の動画は貴重品
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