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■2023年7月7日 標記の課題について、すでに 空襲で罹災した石造物の修復 に、ここまでの検討過程を記載しておいたが、改めて、地蔵像の気になる部位を撮影してきた。 ■全体像 ■上半身 ネット上の写真でよく見られる口紅が薄れて、このアングルだと 十一面観音後頭部の 「暴悪大笑面」...
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■遷座概略図 ★ ~S07〔豊澤地藏〕 ★ S07~S28〔道玄坂地藏:上通り4-9〕 ★ S28~〔同上:現在地〕 ■「道路改正」による移転 ★ → ★ 時期:推定昭和7年ころ 後記「 東京都公文書館・蔵「不動産買受の件豊多摩郡渋谷町上通 道玄坂巡査派出所移転用地 」の昭...
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■道玄坂地蔵は… 当ブログの「 豊澤地蔵→道玄坂地蔵 」で解説したとおり、 昭和7年ころ、大山道と瀧坂道の追分、現在の道玄坂交番の南西向かいから、大山道の筋向いの、上通四丁目9番地に遷座され その地で、昭和20年5月24・25日の「山の手空襲」で罹災している。 その後、地蔵像は...
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■江戸名所圖會 冨士見坂一本松 http://codh.rois.ac.jp/edo-spots/iiif-curation-finder/index.html?select=canvas&where_metadata_label=%E5%90%8D%E6%89%80%E...
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■たまたま… 三田用水 や 海外植民學校 の史料として持っていた 加藤一郎・編著「郷土渋谷の百年百話」渋谷郷土研究会/S42・刊 をめくっていたら、その pp.332-337 の 「 第五九話 寄席から活動写真になる時代 」 の冒頭に 豊沢高等演芸館 一三〇坪 収容人員...
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■牧野の… 自叙伝的著作の一つ「 植物記」桜井書店/S18・刊 中 「亡き妻を想う」と題した一節のpp.395-397 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1064158/1/203 に、以下のように書かれている。 大正の半ばすぎでした。上述のよう...
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■ネット上の写真では… かなり濃く紅が差されているものも多いのだが 去る、2023年7月8日に… 撮影した折の道玄坂地蔵の口紅は、かなり薄れていて まるで、十一面観音像の後頭部の 「暴悪大笑面」 のように、歯を剥いて笑ってるようにも見えて、少々驚いた。 ■口許のクローズアップ...
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■明治40年ころ 江戸時代の「御府内備考」「道玄坂町」 蘆田伊人・編「大日本地誌大系 第 3 巻 御府内備考 . 第 1 至 4 」雄山閣 /S06 ・刊 p.355 https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1214872/1/177 の「3間5尺」〔約6...
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■よくよく… 考えてみると、普段身近に目にする野仏には、あらかたが、明るい灰色の石材が使われている。 こと、東京つまりかつての江戸の周辺に関する限り、それには相応の理由があるようで 佐久間阿佐緒「江戸石仏散歩」東京新聞出版局/S53・刊 (以下「佐久間・江戸石仏」) のpp....
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■100年に… 一度といわれる渋谷の再開発。 たまたま、現在の道玄坂地蔵尊の流転、とくに最初の遷座の時期と理由を調べる裡、いわば渋谷のメインストリートである道玄坂や宮益坂の拡張経過が徐々に分かってきた。 「忘却のかなた」にしてしまうのは勿体ないので、ここに、順次追記を加えな...
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