2023-07-19

道玄坂地蔵の口紅についての仮説

 ■ネット上の写真では…

かなり濃く紅が差されているものも多いのだが

去る、2023年7月8日に…

撮影した折の道玄坂地蔵の口紅は、かなり薄れていて
















まるで、十一面観音像の後頭部の「暴悪大笑面」 のように、歯を剥いて笑ってるようにも見えて、少々驚いた。


■口許のクローズアップ

よく見ると、この「歯」ように見える部分は、左右で上下の目違いがあることから
当初から「歯」として造形されたものでないことがわかる。

そもそも、この部分の色は、顎などに見えるオリジナルの石材からは出ない。





















【補記】
 
明王の牙とか、元仏敵あるいは釈迦の出家前の家臣(文官、武官、女官)を模したものが多い天部、たとえば 東大寺の増長天 などについては別の話として、如来や菩薩で歯を見せている像というのは拝観したことがないし、稀有というほどでは無いにしても非常に少ないはずなので、少し探してみた。

なお、仏像の概略の解説(あくまでその入口だが)は、こちら

 

●歯吹如来

「歯吹…」と付くのは阿弥陀如来に限られ、かつ、定義された名詞のようだが

口を少し開き歯を少し見せている阿弥陀如来像で、『無量寿経』に、弥陀微笑をもらし、口中から光を出して十方*照らした、とあるのを起源とするらしい鎌倉期以降)。

( 歯吹阿弥陀とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書 )

* 十方=八方+上下 

なお、歯吹如来の造形意図についての論考は

長谷川正康「歯吹如来造像の疑問点について」日本歯科医史学会会誌 Vol.4-2 pp.54-59 

だが、歯吹阿弥陀如来は全国でも10数例しかない由。

 極楽寺(東京都八王子市)― 微笑んで来迎!歯吹きの阿弥陀如来 – 祇是未在 (butszo.jp)

木造歯吹の阿弥陀如来立像 | 文化遺産検索 | とやまの文化遺産 (toyama-bunkaisan.jp)

大阪市:木造阿弥陀如来立像 1軀 (…>大阪市指定文化財>大阪市指定文化財(指定年度別)) (osaka.lg.jp) 

●健歯観音

こちらは、地蔵と同じ菩薩である十一面観世音菩薩像だが、上歯を少し見せているだけでも、極めて異例とされている

 広島県福山市鞆町の地蔵院蔵

* 宇治平等院の壁に配されている雲中供養菩薩は阿弥陀如来のいわば眷属とはいえ、中には歯の見えるものもあるらしい 

●馬頭観音 

馬頭観世音菩薩は、柔和相と憤怒相との2態のうち、中世期に武士の信仰を集めた影響で、密教では馬頭明王とも呼ばれる*、明王のような憤怒相を示すために、その場合は「歯を剥いた」形相となることも多いようである。

5 馬頭観音 – 祈りの刻跡 (bukkou.com) 

   歴史を訪ねて 目黒の馬頭観音 目黒区 (city.meguro.tokyo.jp) 

   木造馬頭観音坐像 – TOKAMACHI CITY MUSEUM (tokamachi-museum.jp)

■ネット上の…

道玄坂地蔵の写真では、結構濃厚に紅が差されているものが多い。その場合、上の写真で紅が薄れてピンク~ベージュ色の部分は上唇に見えるので、地蔵菩薩像として異例の歯を見せる姿にならないので、口紅があるためにかえって特段の違和感が感じられないのである。

たとえば、#道玄坂地蔵 Instagram posts (photos and videos) - Picuki.com 中の この写真 

 この像の口の部分を、側面からみると








































このような状態で、下唇がややふっくらと盛り上がっている(地蔵像ひいては仏像としては、それほど「ふっくら」している方ではないと感じるが)のに対し、正面からは歯に見えてしまう部分を上唇と「見立てる」と、「ふっくら」どころか削げ落ちているようにも見える。

■豊澤地藏として…

建立された、寶永3年からこのような姿だったとすると、とくに正面からの姿は、像の背後に掲げられている、山野辺三行なる人物作の由緒書きにある「慈眼温容」とも言いにくいことから、以下は、まだ想像の域を出ないが…

  • 約300年前に建立されたときは、口を噤んだ通常の地藏菩薩像だったが
  • ある時期に、像の上唇の部分が損傷し
可能性としては、昭和20年5月24-25日の山の手空襲の時というのが一番高い
  • その部分は一旦補修されたが
戦災による損傷については、昭和25年に、補修痕から推定して、背部、脚部や左眼窩の周辺などを始めとしてかなり丁寧な補修が行われているので、その部分をそのままにしておいたとは考えにくい
  • 補修部分が剥がれ落ちた
歯にも見える、元の黒っぽい石材よりも色の浅い部分は、補修用のモルタルが残っているのではないだろうか

のが、現在の姿なのではなかろうか。

 おそらくは、この「歯」のように見える部分のために「暴悪大笑相」のように見えてしまう違和感を解消するために、いつしか紅が差されるようになったのではないか。

 また、松川二郎「三都花街めぐり」誠文堂/S07・刊 p.115 には
澁谷の色地藏」と題して「大きな地藏尊が、花街の入口、坂上の交番の隣りに『右 北澤道』などと書いた右〔石〕標と共に建ってゐた」「今は花街の守護佛?藝妓から赤いよだれ掛などを贈られて艶めかしく、地藏さまも定めて感無量であらう。
と記されているだけで、その容姿についてはとくに言及はないが、昭和7年ころまでの、瀧坂道への追分の豊澤地蔵尊の時代を知る人にとっても、紅が差されていててもさほどの違和感はなかったかもしれない。

■この地蔵…

今では、俗に「泰子地蔵」とも呼ばれており、平成9(1997)年3月19日に発覚した、いわゆる「東電OL殺人事件」の被害者を供養するために紅を差している人がいる可能性はあるが、紅の起源は、ここまでに記したようにその事件よりさらに遡るように思われる。

 いずれにしても、他にも気になる補修の痕らしきものもあるので、今度また機会を見つけて、もっと近くから詳細な資料用の写真を撮る必要がありそうである。

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